|
映画、つまり昔でいう活動写真が歴史に登場したのは、1895年フランスのリュミエール兄弟がパリでシネマトグラフを公開したのが始まりとされます。しかし上映できる光学装置としては映画の前身ともいえる幻燈は既に17世紀には発明され、18世紀後半には日本にも入って来ています。
19世紀の初めから江戸では写し絵、上方では錦影絵と呼ばれる、鳴り物口上付きの巧妙な仕掛けの幻燈芝居が、常打ち小屋があった程大いに流行していました。
そうした映像文化の下地のあるところに、明治30(1897)年、リュミエールのシネマトグラフと、エディソン発明のヴァイタスコープがほぼ同時に公開されましたが、サイレント映画なので映画説明者、後にいう活動弁士が上映には不可欠でした。また映写機は手回し式であったので、映写技師と弁士の息が合わないと上手く上映できなかったといいます。
<大阪との関わり>
江戸末期から錦影絵の盛んであった大阪ですが、明治30(1897)年2月15日に大阪南地演舞場でシネマトグラフが公開され、これが日本初の映画上映とされます。その1週間後の2月22日、今度はヴァイタスコープが大阪新町演舞場で公開、このとき弁士を務めたのは南船場の商家に生まれ義太夫語りを得意とした上田布袋軒、彼が日本最初の活動弁士といわれます。このように日本の活動写真=映画の歴史の始まりは大阪であったのです。
|